【藩】 はん

★★。.: 知ってりゃ得する「生活めるまが」VOL.089・★。☆yasuyasu★。☆
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   「おっ モノ知り!」と 見なおされ    

知ってれば 思わぬとこで 役にたつ 「生活めるまが」 
 
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    【藩】
    よみかたは はん ハン。
    江戸時代の行政区分名。 

    時代劇や芝居で、薩摩藩、土佐藩と藩の名前が出てきますが
    実は何々藩と呼ばれたのは、明治時代に入ってからです。

    明治政府が「この国は天皇が治める王政復古」にするため
    薩摩の国、土佐の国と呼んでいたのを薩摩藩、土佐藩として
    国境を整理し始めました。

    ちなみに「藩」とは中国語で、王様から与えられた領地。
    なので「国」→「藩」に名前を変えた意味は
    与えたものだから、なんぞの時には返すこともある。
    と言う意味ですね。
    
    その、なんぞのときが明治四年の廃藩置県の改革ですね。 

    三百諸侯の領土が藩に変わり、県に変わるのは 
    藩主が行う行政を、中央政権から任命された知事が行政を行う。

    しかも武士という職業?が廃業するという、
    武家社会にとって、非常に痛みが伴う改革でありました。    
    
   
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   「生活めるまが」の やす☆です。
    
    そういえば浪曲「国定忠治」で、
    忠治が赤城山を下るとき腰に差した刀を仰ぎ見て言います。

    「加賀の国が住人 小松五郎義兼が鍛えし業物を」

    広沢虎造の名調子ですが
    決して「加賀藩の住人」とは言わないです。 

  
                      
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   ★編集後記(しぼりかす)
   
    「赤城の山も今宵限り・・・・ 可愛い子分のお前たちとも・・・」
    この忠治の赤城山でのセリフは小学校の時にマスターしてました。

    勉強しろよ!    
         
   くらしに役立つお手つだいさんをめざす やす☆ でした。

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